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人のアクティブユーザー

「万人がポヨグヤミンできるようになる 」は望むところではある (が、「ポヨグヤミンする能力はないけどそれっぽいことができるようになってイキりはじめる」は嫌な予感しかしない)

人々が望んでいるのは後者で、たとえば「人々が数学できるようになる」ではなく「数学のできない人々がそれっぽいことを言えるようになる」の方向に社会が動きがちなのよね

その点では、ポヨグヤミンの初等教育への導入は、 (教育が正しく行なわれると信じるなら) 技術によってポヨグヤミンを不要にしようというアプローチよりは人々を「賢く」するのではという気はする

(さんすうがあのザマの現代で、ポヨグヤミン教育が正しく行われるとは到底思えないけど)

素人がポヨグヤミンできるようにするアプローチ、極端な表現をするなら、「人類総スクリプトキディ化」みたいな話で、これが素敵に思えるかというと (少なくとも私にとっては) そんなことはない

らりお・ザ・何らかの🈗然㊌ソムリエ

結局、教育すべきか否か以前の問題として、教育を信じられるかという問題が立ちはだかっている……

ポヨグヤミンそのものではなく、その方法論というか思考メソッドみたいなのが合理的で有用であることが多い、みたいな話はまあ賛同するけど、じゃあそれを万人が理解あるいは習得して、その先のポヨグヤミン習得までいけるかというのは疑問ではあり

その辺りを議論する以前の問題として、方法論を教えたいのかポヨグヤミンを教えたいのか、はたまた無形物や何らかの成果物を作ることを教えたいのか、みたいな根本的な目的意識が欠けているのではみたいな気持ちはあります