怒りとは何なのかという気はするけど、現状の否定をどこまで感情的に表明できるかみたいな話はありそう
たとえば某国の人々は圧政や腐敗で飢えています、可哀想ですねという話があったとして、日本のおそらく大半の人はその苦しみに実感を伴って共感できないし、そこまでの怒りも (少なくとも身近のクソ野郎に対してほどは) 抱かないわけだけど、理性として「これは良くないよね」とそれなりの確信をもって断言できる
で、感情の発露としての面が強い「怒り」と、理性によってある意味抽象化された現状否定表明は、やはりどこか違う気がするし、それらを明確に区別する何らかの観点を持ち出すことができたなら、社会や自治や民主主義の枠組みの意義を否定せずに、前者の意味での怒りの表明を恥ずべきことと位置付けることもできるかもしれない
まあこれもある種の合理性とか理性への信仰を前提とした話ではあるけど