その「その時点での人間社会において尊重される形」が必ずしも “社会的” である必要はなくて、たとえば「苦痛を避けたい」という価値観を個々の市民の多くが持っていることを利用してテロリズムにより社会を変革することだってできる
結局 “社会” というのは人々の集団の動向を後付けで説明するための仮想的な概念で、そして (今のところ歴史を眺める限りでは) 常に過渡的なものであるから、その存在や在り方をもってして何事かに客観的な合理性や必然性があったのだとする根拠付けの論法には納得できない
もっと specific に言えば、現状の社会で「尊重」が尊重されているからといって、今後も「尊重」が重要であることは必然だとは思わないし、それを本質的に重要であると思ってしまうのは現行社会に適合したイデオロギーや価値観や世界観のようなものを前提として物事を考えてしまっているから