そういう点では結局のところ「戦略的に下手を打っている」という主張は非常にうまいと思っている (個人的にもそう的を外した意見ではないと思っているしだいたい同意見)
べつに「嫌われてもいいから “正義” を貫く」というのも勿論ひとつのやりかただと思うけど、少なくとも「人々がこのように行動した方が良い」という形で大衆の行動を誘導するような啓蒙を行いたい場合にその方法は明らかに優れた戦略とは言い難い
じゃあその “嫌われる” とは何じゃい、という基準がマジョリティに支配されていることの問題はもちろんあるんだけど、それは行動を誘導したい対象がそのような性質を持っているは以上向き合うことを避け難い問題であって、それ自体に道徳的な問題があるとしても戦略のうまさの評価には全く影響しないと思う
何でも原理を貫けば良いというものではなくて、自分で完結する行動においては好きにすればいいんだけど、他者の行動を誘導するならあくまで「行動を最大限誘導するためにどう振舞えるか」という観点で自らの行動を設計するのが方法論として適切であると。
戦略で思い出したから LGPL の話をば:
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/108084038893580873