そもそも人間のことをあまり信用していないのでそこで見え方が違っているのはあるかもしれない。“あの尊敬する偉い人” を尊敬すること自体本当に妥当なのか? みたいなところの疑いとかを考えると結局全てのアンカーが自分自身になってしまうゆえ
人間への信用というシステム自体を信頼していない、というべきか
その点、信用しない (嘘だと信じるという意味ではなく判断の材料に使わないということ) という決断は実績ベースでできるので楽といえば楽。正確性高めのソースを省いたところで材料が減るだけであって誤りの混入に直接繋がるわけではないから