まさにそこですよ、ファクトチェックの繰り返しにあたって「どの『野良ファクトチェック』あるいは『権威的ファクトチェック』を集めてくるのか」という問題はシビアに考えるべきだし、プラットフォームはその傾向を完全に制御できてしまう
ひとつの「真実」の座を、現象としての真実そのものの参照ではなく真実への「言及」から集める必要がある以上、集める人はそこにバイアスをかけられるわけですよね。
で、「草の根」でやるならそのバイアスにも多様性がありうるからまだマシだねという話に「プラットフォームに権威としてやってもらえば全部集まるじゃん」と返してしまうのは、バイアスの可能性を無視してプラットフォームの善性を無条件に信頼しているのとほぼ同じに見えます
プラットフォーム公式ファクトチェックのバイアスに対して「草の根で対抗」すればいいという話になるなら、最初から全部草の根のほうが中立性の担保として安全側じゃないですか? 「公式」チェックという、それそのものがチェック対象な (しかも公式は自身を無条件にファクト扱いするであろう) デカい声がひとつ増えただけになってしまうし。