mastodon.cardina1.red は、数々の独立したMastodonサーバーのうちのひとつです。サーバーに登録してFediverseのコミュニティに加わってみませんか。

サーバーの情報

3
人のアクティブユーザー

そもそも該当の言葉を捻り出せないことには表現も難しいので (命名できない概念について深く考えるどころか認知することさえ難しいようなもの)、一応最低限の語彙ってやつはやっぱり必要だと思っている (とか言うと何でも程度問題になってしまうので虚無発言だが)

らりお・ザ・何らかの🈗然㊌ソムリエ

その「備えていないと思考そのものが貧弱になってしまう最低限の語彙」がどの程度のものなのかがわからないのが (そして自分がそのラインに達しているか自分では判断が難しいのが) 問題なのだろうけど

これずっと後で見たときふんわりしすぎて何のことだかわからなくなってそうなので補足するけど、たとえば「卑怯だ」と「妬ましい/羨ましい」を両方「ずるい」としか言えない人がそれらを内心で区別できるかとか、たとえば「因果応報で人が酷い目に遭うのは気分が良い」と「体を動かすとすっきりする」を「おもしろい」としか言えない人がそれらの楽しみを区別できるのかとか、そういう話です

内心で発生する感情の動きの幅や敏感さ自体はいわゆる情緒ってやつの範疇で語るものだと思うんだけど、それを後から振り返ってみたときどう自認し再確認するか、そういう部分には語彙の豊かさは結構シビアに影響しているのではないかというのが私の (根拠のない) 今のところの考え。
ゆえに「難しい言葉を知らずとも平易な言葉の組み合わせで表現できるなら表現としてそれでいい」というのは一理あると思いつつ、しかし実情として「言葉をあまりに知らないと概念をそもそも区別できない (区別できるものだと気付けない) リスクがかなり高く、従って表現も語彙とは別の理由から貧弱になる」ということはいかにもありそうだということ。

概念が区別できて別の名前を付けられることに気付けるというのは、既に相応の言語化の能力があるからだろうし、そうであれば語彙なんて都度辞書を引いていればそのうち勝手に補充されていくから大して心配する必要はないと思える。
そうでない場合こそが問題。

身も蓋もない言い方をすると、結局語彙というインデックス的な知識の量ではなく記号化と分解という思考メソッドの方が重要だから、語彙の有無よりも前に気にするべきポイントがある、みたいな話になってしまうな

この話題に限らず個人的なベースの考えとして、「語彙がなくても考えられれば」という仮定がそもそも不自然で、実は「十分に考えるためにはそもそもある程度の語彙が事実上必須だし、十分に考えられる人は自然とそれなりの語彙を持っているはず」であろう、という想定がある (これに反対する人もいるだろうけど)

これマジでどっちの立場で喋ってるのかわかりづらくなってるな。

「語彙がないというのは場合によっては原因ではなく『思考の深さが不十分である』ことに起因する結果である可能性があるし、逆に語彙がないことが思考の深さが不十分であることの原因である可能性もある。まず根本的な原因になっている方を先に解決しようとするべきで、語彙だけに着目したり語彙以外の部分を無条件に優先しようとするのは効果的と思えない」というのがまとめ。