私は原理主義者なので、 Mastodon は「分散 SNS 」としての理想から敢えて実態を離すような設計がいくつかあるように感じられる。まあそういったデザインを失敗ととるか、現実を見た妥協と取るか、ひとつの強い思想に基づいているととるか、そのあたりはオイゲン氏や開発陣に聞いてみないとわからないし、どの視点のユーザもいるんだろうけど
ただ、私が分散と連合を個人レベルまで推進することを推すのは、「分散 SNS だから」という名前の分類の問題ではなくて、「ユーザの自由を最大限担保するためのサービスの在り方だから」という理由であることは再三述べていきたい。
自由が要らないなら twitter なり何なり好きに使えば良いが、自由を守る努力をせず権利を失ったときには、往々にして既に手遅れになっているものなのでは。
だから「分散 SNS であること」が目的なのではなく、ユーザの自由を保証するという目的こそが最重要と考えており、分散 SNS 原理主義はそれを達成するための思想、手段に過ぎないというのを主張していきたい