自由を求めるうえで本質的に重要なのは広告の有無ではなくてプライバシーと自由の確保なので……
というかそもそも、寄合所帯インスタンスなるものが発生する時点で自由は完全には確約できないし、既に理想は崩壊したという感じさえある
いつぞや広告が勝手に流れてくるだか投稿に付いてくるみたいなホスティングサービスが問題になってた記憶があるけど、そのときも「広告はありません」という文章に背いているみたいな話が出ていて、そうじゃないんだよなぁという気持ちはあった
・本当に求めているのは「広告がない」ことではなく「自由とプライバシーが侵害されないこと」
・であるにも関わらず、 Mastodon の /about では「広告がない」という文章で主張している
→これは「公式な Mastodon 自体が広告を提供することはない」という意味では間違ってはいない
・そもそも広告実装の有無はインスタンス毎に委ねられており、「公式な Mastodon」だけが使われるわけではない
→単に改造 Mastodon で /about をそのまま使うのが悪い……?
などなど、話題や論点が少々混乱している
せめて、文面が悪いのか /about を変えないのが悪いのか、どちらの話をしているのかくらいは
原理的に広告やプライバシー侵害を実装できるという点については、「どんな道具も誤った使い方をすれば害になりうる」という話なので、それだけですね
(ここでいう「正しい」使い方とは、個人レベルでの分散です)
これは当然の話で、自分以外の人が運営していれば当然自分の権利を侵害する行動も起こせるわけで、じゃあそれを防ぐなら、他人に任せず自分でインスタンス立ててくださいという話になるのは子供でもわかる