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さんざん言われてることだろうが、日本語で「排除アート」と呼ばれるもの、なんで「アート」と呼ばれるのか、英語圏のようにhostile architectureやhostile designとなぜ呼ばないのか、はなはだ疑問だ。

この五十嵐太郎インタビューも「アートっていうより建築やデザインの問題だ」「敵対的建築といった海外での呼び方のほうが適切だ」って繰り返し言ってるのに「排除アート」って言葉にインタビュアーが固執しているように見えて厳しい。

巧妙化する「排除アート」 誰にもやさしくない都市が牙をむく時 withnews.jp/article/f021071200

別にアート性善説を唱えたいわけではなくて、理不尽なものに適当に「アート」とかラベルをつけて揶揄して溜飲を下げてもしょうがないじゃん、というのがある。

とはいえ、こうした物理的なデザインによる排除が行政や企業にいいように濫用されがちなふわっとした「アート」概念となんらかの共犯関係にあることを指摘するのも重要な気がするのではあった。

こんにちは。例えば、他人の拙い文章を腐すためだけにわざわざ「ポエム」と呼ぶ風潮と同じで、この場合の「アート」も受け手側の「よく分からないし分かろうともしない」高慢な態度が、よくある冷笑主義だと思います。

単なる「皮肉」「風刺」とは、どこか違いますね。

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