クリエイチビチーをさておいて私個人がなぜエーアイに惹かれないのかというのも明文化できるならしておくべきなのだろうけど、したことないな
ないのか? ある気がしてきた
個々に嫌いなポイントはいろいろあるのだが。 https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/111955411965812083 とか。
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/106985705214276115
まず一次情報の “意図” が的確に反映されることを信じられない、さらにはそれらに扮した情報を捏造することを推奨する用法が氾濫しているのがひとつ (これはべつにエーアイに限ったことでなく人間が運営するマスコミとかも同じなのだが)
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/110095167360463521
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/111955411965812083
次に、現行のエーアイが「アホな人間」によく似ていたり「人間の唾棄すべき振舞」を真似ていたりするように見えること。これは人間嫌いに由来しているところもあるが、将来的に改善されるようならこの面については希望はある。他の性質はさておき。
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/110475096800339942
それから、これは「一次情報の “意図” の反映」の要求にも絡むが、私が過程や結末の必然性や正当化あるいはその説明を常に要求していて、ブラックボックスではそれが満たされない用法が多いこと。
簡単な問題を解いたり簡単なコードを生成するくらいならこれでもいけるかもしれないが、結局「その説明は本当に正しいか」の検証を別でやらないといけないので本当に自動化したいならフォーマットが限定される。
複雑なコードも一見それらしく動くように生成できたりするが、「なぜ他の実装でなくそう書いたのか」を説明できる状態であってもらわねば納得できない。
創作については「何故他のかたちではなく〜」の部分の恣意性の消失はもっと激しくなるのではないかと思うけど、これは私が創作者側でないのであまりわからん。
でもまあそれはそれとして、これは私が単にエーアイを嫌いなだけで、エーアイが破壊されるべき文明だとかは思ってないし、むしろ巷 (e.g. formerly Twitter) の反エーアイについてはだいぶ納得いってないところがある (べつにだからといってエーアイの積極導入を無条件に賛同するものでもない)
要は私がアホを嫌いで論理を常に求めているという、それだけの話なのかもしれん