そもそも大学に通うのは社会に出てやっていくためではない (そういう人もいるだろうけど)
それから、人間が社会参画せねばならない (少なくとも労働が現状では義務である) のであれば、むしろ単位を取れない人に大学を卒業させることよりも、社会でやっていけない人をサポートすることこそ本格的に注力すべき。
それが人間を自らの内に引き摺りこもうとする社会の義務とさえいえるのではないか
「俺らに加われよ、これは義務だからな、ただし俺らと一緒にやっていけないやつはクソだ」はあまりに傲慢ではないか。シャカイってそういう面があるけど。
単位が取れるかどうかというのは、授業で教えたことが理解/習得できているかという問題であるべきであって、そこに社会でやっていけるだの何だのという不純物は必要ない。
そういう尺度を入れたいのであれば、それはカリキュラムや講義の目的として個別に設定されるべきであって、単位を取る/取らない論において語られるべきことではない