「std::教養 を見せつけられることを嫌う人々」みたいな層が実は結構いるのではないかと思っている
大喜利で会話するような人々とはわかりあえなそうだけど
じゃあそういう人々が YouTuber をするとしてどうやってコミュニティの文化や特別感を作るかというと、たぶん「自分自身をコンテンツとすることで、 (その文化圏における) 教養をブートストラップする」という戦略が結構有効なんじゃないかなぁと。
(意識しているかはさておき、実際そうなっている例はそこそこありそう)
std::教養 が嫌なのが何故なのかというと、「コミュニティの構成員の皆 (あるいは一部) がわかっているのに自分がわからないネタで人々が盛り上がる」という爪弾き状態を嫌っているのではないかという予想をしている。
そう考えると、教養のブートストラップは「特定の動画群を観ればその文化を理解できる (かつネタが全部わかるので爪弾きにされない)」という、ある種の「コミュニティやコンテンツで除け者にされない保証」みたいなのを作るうえで極めて有効なのではないかなと。
よーするにコンテンツよりもコミュニティへの帰属意識みたいなのを取ることになっているのかなと