https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/104717121422462118
この「盲点を減らす」というのが、無数の泡沫ページの群であるところのインターネッツ上ではそもそも本質的に困難であり、ポータルサイト的な立場の「リコメンデーション」や「特集」というのがあたかもそれを可能にしているかのように捉えられている、というところによろしくなさを感じている
結局どう足掻いてもそれは「リンクを辿る」の自動化あるいは距離の短縮に過ぎなくて、視点の広がりや観点の多様性の増加の担保にはならないんですよね。
「広く調べればいろいろな観点で物を見られる」というのは (少なくともインターネットにおいては) 幻想なんじゃないかというのが私の感想
特に google のように恣意的な判断が混入する順位付けのもとでは。
インターネットのリンクを無限に辿って宇宙の果てまで行ったと思ったら御釈迦様の掌の上でした、みたいなことは (原理的にも) 発生しうることで
結局「偏りを減らそう」というのは「偏りのない状態」を規定できないのであれば無為な試みかもしれない、みたいな空虚な考えもなくはない。
偏りがあることを認めるところまでは行けるし行きたいけど、それが「全人類、あるいは全情報のなかでどういう立ち位置であるのか」というのは本当に正しく認識できるのか? というのはかなり微妙なんじゃないかと
滅茶苦茶雑な話をすると、そもそもインターネットへ公開が許されている情報に対して日本語と英語でしかアクセスできないわけで、その中でいくら情報を漁っても結局「インターネットで公開できる情報のうち日本語と英語でアクセスできるものの平均や重心」を偏りのない情報であると認識してしまうだけで……