それこそ「勝手に勘違いしたんやんけ」じゃないですか?
勘違いさせようとする行為が邪悪であるとする気持ちはとてもわかるが、結局のところ誰にどこまで責任があるか合意がとれることはないだろうし、どこまでいっても水掛け論ですよ。どれだけ言葉を掘り下げて創出すれば「安易に一般化」できなくて「別の事柄に対する発言にみせかけた」ことにならなくなるんですか
そもそも SATUBATU 感覚で物を言うなら「自分あるいは他人の信頼できる言によって検証されていない主張を勝手に受け入れる (つまり『騙される』) のがおかしい」という話だってできて、なんで契約書読んでないのにサインしてるんですかと
何がおかしいかわからないが納得できないならサインは保留すべきだし、具体的におかしいならここがおかしいと叫べばいい
「騙された」は能動性にこそ差はあれど、本質的には「考えが足りていなかった」と捉えることだってできるんじゃないですか (私がそう思っているかは別の話)
特定の (少なくとも常に偽であるような命題に基かない) 言説について「これは人を騙しにかかっている!」と文句を言おうというのなら、「本当はこう言っている!」と “騙し” にかかっていない文面に直して啓蒙するなりすればよくて、でもそれはその言説が本来主張しているところの真偽とは別の話ですよね。
「“騙し” にかかていない文面」で解釈したとき恒真であるのなら、その言説を間違っているとか嘘だとはいえないはず