悪ではあるかもしれないが (それが誰にとってどのくらい悪であるかは全く別の話だし人々は合意できない)、
悪であることと正しいことあるいは間違っていないことは全く別の話だし、
仮に間違っていたとしてそれを鵜呑みにして被害を被った受け手がいたら、その被害は原則として受け手の問題と捉えるべき
「消防署の方から来ました」は悪かもしれないが嘘とは限らないでしょう。「オメーは詐欺師だから嘘をついているな!」というのはナンセンスだしむしろお前がテキトー言ってんじゃねえよという感じです
で、どのような発言をもって悪とするのかは本当に難しいだろうし、それこそ「こっちに悪気はないし、わかる人はちゃんと理解できてるのに、オメーが勝手に勘違いしたんだろうが」という案件にまで手を延して発信者を叩こうとするのには頷けない
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/105724320926127517
一応書いとくと社会的制裁をどの段階から加えるかというのは「社会的合意の形成におおよそ形成した分野」が可視化された結果であって、
であって、もっといえば社会はむしろ社会という主体にとっての利益を考慮して善悪を定める側で、法とはそのためにインセンティブを調整する機構でもあるのだから、法が悪としているから道徳的な問題が〜というのは別の話
たとえば借りパクされたものを取り返すとか、もっと単純に「やられたことをやり返す」とかは法的には大抵悪とされているが、それが本当に道徳的な問題を持っているかというのは個々人の価値観を起点とせずには判断できないでしょう