ふーむ、二次創作における愛のことを考えていたら自分の好みへの理解が少し進んだ気がする
私にとって二次創作 (公認のもの含む、たとえば小説のアニメ化やコミカライズなども) の評価基準のひとつにリスペクトを感じられるか否かというのがある。
これを具体的に考えてみると、「このキャラがこういう状況に置かれたら原作ではこう行動しただろう」みたいなキャラクターの性質だったり、ここではこういう文化や法則が根付いているという土地の性質や世界観だったりが尊重されているかというのが判定基準になる。
じゃあそれ基準でアウトになるのがどういう状況かというと、たとえばストーリーが先にありきでキャラクターがストーリーを駆動するための装置に見えてしまう場合とか。何故そう感じるかといえば、たぶんキャラクターの行動が原作における性質から自然に導かれなかったり納得が得られないものになりがちだからだと思うんだけど。
で、キャラクターが舞台装置に見えてしまう状況って雑な二次創作以外にもあるよなと思って、典型的にはコメディとかって結構そういう作品多いんですよね。
「こいつは酷い目に遭う役回りだから酷い目に遭う」みたいな、キャラクター装置として忠実に役目を全うすることで始めて作品が成立するようなもの。私そういうのが苦手なんですよ
これまで少なからぬコメディが苦手だという自覚がありつつ原因がよくわかってなかったんだけど (展開の必然性のなさとかキャラのアホさとかかと疑いつつ確信を持てずにいた)、どうも「キャラクターが人としての性質を持つ前に物語においての役割を与えられている」という点がかなり引っ掛かっているっぽいことに気付いたと、そういう話でした (おわり)
一次創作の話をすると、これは昔から思っていることなのでどこかで書いたことがあるかもしれないけど、たとえば世界観に「説得力」 (現実性や実現性とは言ってない) があるかどうかというの、「作者の判定なしに、ある状況の世界で何が起きるか想像できるか」あるいは「作者の判定なしに、あるストーリーを展開されたときそれがありえないかありうるか判定できるか」がひとつのラインになると思ってるんですよね。
特に魔法モノの設定とかでこういうことを考えがちなんだけど
たとえば何かしらの展開を考えて「いや、それは世界設定やキャラの背景からするとおかしい」みたいなことを外野が論じて何かしらの結論を得られるか、みたいなのが物語や世界観の説得力だと思うんですよね。
逆に説得力のない世界観というのは「作者の都合次第で何が起きてもおかしくない」というもので、古い言葉で言えば deus ex machina なわけですが。コメディもこれに該当する場合が多いので、どうにも物語というよりネタ帳として見がち (まあそれが正しい楽しみ方なのかもしれないけど……)
で、二次創作の話に戻ると、この「説得力」というのは二次創作の (ある面における) 質の良し悪しを考えるうえで重要な要素だと思っていて。
「説得力」のある一次創作からは、原作と整合するこれまた「説得力」のある二次創作を生みやすいのだろうと思う。
またそれはそれとして、二次創作から感じられる「説得力」は、物語の世界やキャラクターに対する確固たる信念というか「二次創作者の都合で揺らぐようなものでない世界観」が存在しているということであって、原作へのリスペクトとか愛というのはこの「原作から引き継いだ揺るがない世界観や解釈」によって感じ取られるのかな、と思ったのでした
今度こそおしまい。