優秀な独裁者の時代に良い成果がでることを仮に許容するとして。仮にだよ。
その後継の統治者が引き続き優秀であると考える合理的理由はなく、その独裁者の強権は直接的に人民への弾圧などに繋がる可能性が極めて高い。
つまり独裁を許すことはそのまま人権侵害を許すことになるんですよね
補足すると、「人民に被害が出たら人権侵害」という理解は誤っていて、「人民の権利をいつでも制限できるという状態自体が人権侵害である」ということなので、実は統治者が優秀であってもやはり独裁の時点で人権は既に侵害された状態になっているわけですよ
で、たとえば別の視点で「よく統治できているなら人権侵害状態は許容されるべきだ」と考えるとして、それが最終的に何へ向かうかというと「ヒトラーは優秀な政治家であった」という結論ですよ
もちろん何をもって「優秀」とするのかの定義は考えないといけないけど、深刻な人権侵害を前提に成立する「安定した統治」は一般には「良い政治」ではないわけですね。
これが独裁のメリットが許容されない理由
じゃあ民主主義下でも政治的権力による人権侵害は発生しうるわけだけどこれはどうなのかというと。
民主主義では「国民が反対することで現行の政治家をその座から排する」とか「自分が政治家になることで政府の行動を変える」という、政府を「矯正」する権限が国民皆に等しく与えられているわけですね。
言ってみれば、国民によるある程度の「革命」を許すものとして政治システムが成立している。
一方の独裁は、そういった「革命」を政治システムとして認めていない、あるいはシステムとして許されていても独裁者がそれを阻止できるなどで実効性が全くないことが多い。
つまり政治システムがマズいと判明したときそれを変えるアクションをとれる、自浄作用がある、というのが民主主義の正当性のひとつであるといえる
アメリカの独立宣言なんかは「革命権」を認めているわけで、もっと直接的ですよね。