結局宣伝は誰のためなのかというアレがあり、この観点で商業は大抵アウトなのでもう何もかも駄目
友人に対する「おすすめ」で自分が利益を得られるかというのと、サービス提供者や広告業者からの「おすすめ」で広告を出した側が利益を得られるかというのは、割と本質的な差だと思うんだけどね
じゃあ「バズったから宣伝 (←クソ)」は何なのかというと、まあ自己顕示欲か何かなんじゃないすか (知らんけど)
少なくとも「†バズった† 投稿を読んでくれた人のため」の情報でないことはほとんどなので、その点においては商業的な広告と同程度かそれ以上には “つまらない” ものよね
結局何が言いたいかというと、「誰かの都合」を押し付けられるタイプのリコメンドとかおすすめというのが本質的にクソなんじゃないかという話。
もちろん未知の何かを発見する機会になる可能性は否定しないけど、それはもっと別の方法で実現可能だし他人の都合を押し付けられることを選択する理由にはならないと思う
ローカルで動いたり特定のリモートサービスに依存しなかったり統計情報を送信しないようなソフトウェアは、利用すること自体が「自分でない誰かの利益」を目的にしていない蓋然性が高いという点で、いわゆる「普通の」オンラインサービスよりも信用できる
あるいは自由ソフトウェアも、「誰かの都合」のためにユーザに負担が押し付けられるケースを監視することができるという点でプロプライエタリだったりクローズドソースなソフトウェアやサービスよりも信用しやすい