私は最初から、これから生まれる人間への不道徳と既に存在する人間の幸福追求は競合するだろうしそこに妥協は生じるだろうと最初から主張してますが……
特定の行為の悪さを論じることが巨視的な視点での “バランス” を欠いているから、それを理由に『それを巨視的な判断に使うことはできない』というのはわかるしそれをもって現実的でないと表現しているのかもしれないけど、私はそもそも人類が下すべき最終判断の導出の話は最初からしてないです
あらゆる状況とあらゆる人々について考慮した結果のみを “実用的” とするならそれはそれで構わないけど、私はそんなに “実用的” な道徳は見たことがないし提示されてそこに完全性を見出だせるかも甚だ疑問です