辞書は定義ではなくスナップショットであるというのはまったくそうなんだけど、同時に、「みんなが言ってない」ような語と意味の紐付けというのはそもそも情報伝達には不適であるから、「みんなが言ってる」ことの確信の度合いが高いもののみを集めてくれている辞書というものにはやっぱり価値があるし尊重するだけの意義がある
もっと言うと、辞書が保守的であることの価値というのはつまり、「みんなが言ってる (ただし意味が共有されているとは言ってない)」ではなく「過去ずっと言われてきた (ので意味が共有されている)」であることを保証してくれている点にある。
オタクっぽく言うなら「高周波ノイズをフィルタしてくれている」とでもいうか。
「みんなが言ってる (ただし意味が共有されているとは言ってない)」の典型例としては「議論が煮詰まってきた」などがある。
(「結論に到達しつつある」が本来の意味で、「議論が行き詰まって停滞する」が誤用における意味)