私は逆に、十分な検証が不可能あるいは実質的に困難な事項について真実性や事実性の判定を下そうという試み自体を危険に感じてしまう。
そこに存在するジャッジは「こうであると仮定して行動し、そのリスクを飲もう」という行動の前提という位置付けに限定した文脈での決断であるべきで、「こちらの方が正しそうということで内的な “事実/真実データベース” に蓄積しよう」という汎用的な文脈での判定であるべきではないと考えてしまう
誤った判定による不都合を特定の行動の内部に抑えて被害の拡散を抑制するというか
本当に困るのは「わからない」状態ではなく「行動できない」状態なので、必要なのは行動に要する最低限の情報を可能な範囲の正確さで仮定することであって、「わからない」のラベルを無理矢理剥して「わかる」ゾーンに設置することではない
曖昧だったり前提が狭すぎるものを無理に正当化するくらいなら、わからないというラベルが貼られたままにしておいた方が安全。