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人のアクティブユーザー

わかりやすい説明を残すことは否定しないけど、その作業は結局公共への奉仕のコストとして計上するようなものになりがちなので、余裕のある人が余暇でやるか、誰かが個人的に報酬を出すかでもないと厳しいだろうと思いますね。
有用なのはわかっているが、その活動に持続性を持たせるのがコスト的に難しい。

本質的には「すべての外国語文献に日本語訳があればいいのに」と言ってるようなもんですよね。

直接読める人はわざわざ訳を残しても自分へのメリットが薄く、そのうえ訳を誤読する人がいたら (訳自体に問題がなく読者が全面的に悪くとも) 責を負いかねない立場に身を置くことになる。
そして直接読めない人はそもそも翻訳できない。

らりお・ザ・何らかの🈗然㊌ソムリエ

そのうえで、たとえば誤訳が広く共有されてしまったとして、指摘をどこかに置いておくだけなら通常の翻訳コストくらいで済むけど、それを元の誤訳と同程度に広く共有するコストなんて誰が払えるんですかと。しかも初出の誤訳の方が基本的には広まりやすいのに。

さてここで翻訳コストが必要なくなる妙手がありまして、何だかわかりますか。

直接読める人しか相手にしないことです。

裾野がどうとか母語で思考できる方がどうとか、いろいろ論点はあるんだけど、少なくともこれをエリート主義的だとして一蹴するのは言うだけなら簡単だが、じゃあ実際それを避けるための “翻訳” コストを払い続ける (あるいは払う気のない人に押し付けられてフリーライドされ続ける) ことに界隈の人々が耐えられるんですかという。

結局リソースの問題なんだよね。

情報を集める労力を出せないから。
情報を理解する思考リソースと学習を捻出でいないから。
自分で使えない情報を出す余裕がないから。
わからないことをわからないと認めることによる不都合を補填しきれないから。

そういうリソースのなさ由来の問題を「でもリソース出せば解決するでしょ!」とするのはあまりに無意味な正論

認知や思考のリソースや時間や体力について、トレードオフの問題と向き合わないといけない。こういうまとめ方は「要はバランスおじさん」みたいで嫌なのだが。

そういう諸々と、身を削らない範囲で誠実に向き合おうとすると、結局「趣味の範囲でやってやるがオメーのケアはするつもりない、ケアが必要なら自分でやれ、それが無理なら最初からこっち来んな」くらいのスタンスに落ち着くわけです。文脈次第で多少のふれ幅はあるけど。

@lo48576 「あの山の頂上は絶景らしいよね。ちょっと解説してくれよ。オレ登山なんてする気ねぇけどさ」にどこまでつきあうか。