思想から入る人ってごくごく一部なんでしょうけど、そこで妥協してると状況がどんどんよくない方向に転がりかねないのでうーんという感じ
ただ、「本当にユーザ数が多いことは良いことなのか?」というのは問いかけたいです
選民思想みたいに聞こえるかもしれないけど、ユーザ(自分自身)の自由を守りたいと思い、行動するというのは大事なことで、それができない人が、プラットフォームを変えたくらいで一体何を守れるのかという話です。場所を変えてまた同じこと(非支配と自治の放棄)を繰り返すのか?
権利は努力を伴ってやっと守れるもので、勿論あらゆる人々をテクノロジーで救うことは良いことだけど、それは十分な準備が整ってからの段階なわけで、今の時点で「自由を(自分達の努力で)守ろう」と思わない沢山の人が大手インスタンスにただ乗りしたところで、やっぱり彼ら/彼女らの自由は本当の意味では保証されてないわけですよ
だから Mastodon や GNU Social は、「自分の手で自分を守ろう」という人々に手をさしのべてくれるツールではあるけど、「twitter 嫌だから引っ越してきました」としか考えていない人には、それ相応のもの (twitter 社の代わりにインスタンス管理者による統治)しか用意してくれない。
"それ相応のもの" で十分だと思うのであればそれでいいのだが、それ相応のもので満足できないのに自分でインスタンスを立てようとせず文句を言うのは、そりゃ無責任な騒ぎ立てでしかないのでは、と