Mozillaがメリトクラシーを捨てるとき - Mozilla Flux
https://rockridge.hatenablog.com/entry/2018/06/04/004149
> Mozillaが営利を追求しないため、Firefoxにユーザーのプライバシーを尊重する機能を積極的に組み込めるというのであれば、ユーザーにとって利益のある話だ。しかし、Firefoxが「政治的に正しい」プロセスによって開発されたからといって、ユーザーがどんな利益を受けるというのだろう。
> さらに別の疑念が頭をもたげる。「バイアスを是正するための積極的な介入措置」が、プログラマの思想を問題にするようになっていく危険はないだろうか。極端な例を挙げれば、差別主義者がとても優れたコードを書く場合、Mozillaはその貢献を受け入れるのか、ということになるわけだが、実はここで「受け入れない」を選んだ先にこそ真の問題がある。現実には、誰が見ても差別主義者だと判断できるケースは少ないだろう。あるプログラマの過去の発言を捉えて、「彼は女性差別的な発言をしたからMozillaにふさわしくない」との批判が出た際、メリトクラシーに従えば、「彼は優れたコードを書いて貢献してきたからMozillaにふさわしい」と反論できるが、バイアスの是正も追求するとなれば、どうなるかわからない。
これな、私も割と同感
ソフトウェア開発に限らず、たとえば創作とかでもいえるんだけど、創作物が良いものであることと、その作者の人間性に問題があることは全く別の問題として捉えるべきではという感じがあるんだよな
まあ事がコミュニティになるから話がややこしくなるんだけど、結局良い物を作ることとコミュニティの社会性というか政治的な姿勢みたいなのにも同じようなことが言えるのではという気がしている
もちろん良い物を作るために非人道的行為が許されるというわけではないですよ