最近シューンの要請もあって自分が何故ポヨグヤミンその他を好きなのか、どこが好きなのかを考えたりしているのだが、どうも抽象化の試み、概念を表現することそのものに対して喜びを感じているらしいということがわかった
人間の考えた構造や意味をどうやって記号に落とし込むのか、そのための言語やフレームワークはどう在るべきなのか、機械はそれをどのようにロジックに取り込むのか、そういう辺りに強い関心があるようで、たとえばライブラリを書くというのもそうだし、ドキュメンテーション形式について考察するのもそう
だから私の中では、コードを書くのは抽象化が良いものだったと確信を得るための詰め作業に過ぎなくて、その確信を得たあとにコードがどう使われようが知ったこっちゃないというか、それは使う人の考えることであって私の興味の対象外なのよね (あまり良くない傾向なんだけど)
パズルの定石を見付けようとすること自体を楽しんでいるのであって、その過程や検証段階でパズルを解くことは楽しめるけど、定石として完成させた後にそれを利用してパズルを消費しまくることには興味がない
まあそれはポヨグヤミン自体の楽しみについての話で、自分の使うツールとして作ったなら抽象化の楽しみとはまた全く別の動機で「欲しかったものがそこにあるから」使うということはよくあるけど