結局、人間は流されるし、流れを誘導する人間の振る舞いや主張が正当に見えるか否かがそのまま煽動という手法の是非に適用されがち。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいな
テロに屈せず闘いましょうと人々を奮わせると良いことだと思われるし、とこぞの民族の暴挙に屈せず闘いましょうと煽る人々は差別主義者ということになったりする、結局そういうもので、怒りと煽動という文法自体に色はない。後ろの主張が透けて文法に色がついているように見えるだけ
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