たとえば恣意的な仮定だけど、大事な人が死んだときあなたが嫌っている胡散臭い新興宗教の流儀で「魂が救済されますように」的なことを言われて本当に嬉しいのか、みたいな話はある
結局物言わぬ死者に何か与えたり望んだりしている時点で、本質的には死者を自分が気持ちよくなるための玩具にしてるんじゃねえのみたいな感想もある。 †守護霊† とかと何が違うのさ
「私は哀しい」と個人的な範囲に留めた表明の方がよほど誠実ってもんよ
まあこれは死者の尊厳を尊重したいという価値観で考えるならという話で、死者に人権も尊厳もないとする人々にとっては大した問題ではなかろうね。それはまあ価値観次第。