Rust とかの文脈での「書きやすい」は、暗黙に「間違ったコードは『書けた』とは言わない」みたいな前提を持っているので、そこを勘違いすると「書きにくいじゃん!」という反論になってしまう
それっぽい文字列を用意しやすいが実際それが意図した通りに動くかはよくわからん、みたいなのは「書けた」判定に入らないので、その意味での「書きやすい」はそもそも「書けてない」の範疇です、みたいな強い主張というか思想が背景にある
「できました! (できたとは言ってない)」を「できた」であると認めるか否か、みたいなところ。
C言語で書いたコードがコンパイル通らなかったらそれは「Cでコードを書けた」うちにはカウントしないでしょう、みたいな話が近いかもしれない。
愚直にハンドコンパイルしてそれっぽいアセンブリ言語に書き直せば実際実行はできるかもしれないが、そういう問題ではないでしょうという