helm とか使ったことないけど、調べた限りではどうにも好きになりきれないというか、「腕が立つとも知れぬ他人が書いた雑かもしれない抽象化に乗るか?」みたいな問い掛けをされているようで気分が乗らない
これが普通のポヨグヤミンとかだと有象無象含めいろいろな人が車輪の再発明をしていて、気に入らなかったら別のを探す選択肢が当たり前にあるんだけど
で、結局どれも気に入らなくて自分で書く羽目になるわけだけど、プログラムではなくパッケージリポジトリ (あるいはレシピ) 系のものって「自分で書く羽目」に至るまでの余裕が小さくない? というぼんやりとした感覚がある
ansible とかもそんな感じで、「その挙動が欲しいわけじゃないんだが……」と思いながら使うか、標準とか distro の PM で入れられるやつだけ使って自分でゴリゴリ書くか、みたいな極端な二択になりがちな気が
プログラムだと自分で名前をつけられるので独自の名前で同じ目的のものが複数乱立できる環境なんだけど、第三者によるパッケージングのリポジトリだと対象ソフトウェアの名前でパッケージが作られてしまうから同じ名前で複数レシピを乱立させることが難しく、品質に関係なく代替が生えづらい、みたいな? (知らんので適当言ってる)
個人名で名前空間切れるケースもあるけど、じゃあ見ず知らずで腕もわからず信用度もわからん赤の他人のリポジトリを無警戒に使うかといえば…………いや、そういえば皆さんそういうの躊躇ないんでしたね。おしまい。 (えっ)
もちろん中身をいちいち検証したっていいし必要ならそうするけど、ソフトウェアそのものではなくレシピでその手間をかけるくらいなら、自分のユースケースで使い物になる程度の簡素なものを自分で書いた方がよくない? となるので、結局「妥協するか、自分で書くか」みたいな雑な二択に収束してしまう
パッチを投げろ? ごもっとも。
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/111871394260763101
これ、何か既視感をくすぐられながら書いていたが、 Nix でサーバを立てようとしていたときに思ってたことだった。
「パッケージを記述するテンプレート」はしっかりやっておいてもらわないと自分で書いた方が早いじゃんとなり、使うのを避けてしまう