まあ「ハードルを超えられる人だけ選別する」みたいなやる気フィルタが健全でないというか、界隈の先細りに繋がるというのはあると思うんだけど、じゃあ情報提供側がどこまでそこにコストを割くべきか (あるいは、情報を十全にする気のない人を介護すべきか) みたいなのも同じくらい深刻なコストとして捉えるべきだとは思う
人が多いと 多様性パワー
でそのコストを何故か負担したがってしまう人が出てくるのでどうにかそれで回ったりはするのだが、それはある種のフリーライドであって、そういう嗜好のある人を探し出して押し付けるというのは違うんだよな
基本的にコミュニティの「そのへんにいる人」は教育を生業として適切な対価をもらって物を教えてくれる人ではないし、我々もそのような対価は支払っていないので……