結局すべてが突き詰めると「天才が書くと意味があり、バカが書くと邪魔になる」に帰着してしまう世界みたいなところがあるので、どこまでバカをバカのまま使いますかみたいな前提の置き方でかなり結論が変わってくるような気がしている (一般論)
極論な一例としては、間違いを書かない天才なら静的型付けなんて冗長になるだけだからね (???) みたいな話
private API の意味ある検査を書けない人が public API の有意義で高品質な検査を書けるかと考えるとそれはそれでちょっと疑わしいが、方法論で縛って傾向としてマシにすることはできるかもしれなくて、それをデメリットとともに受け入れるか否かという