社会そのものを相手すればどこかでポカをやらかすことは避けられないが、社会を相手取らず抽象的な理論とかで先に地盤を固めておいて、その上で行動することはできる。めちゃくちゃ迂遠になりがちなのでカネと体力がないとできないが……
人間が絶対的に信用ならん以上はどこかに信用できるところとできないところの境界は発生するが、それをより人間側に押し込むことはできる。
業務の自動化への欲求というのもその辺りの思想から来ているところはある。人間に暗算をやらせるより電卓を使う方が良いし、人間に電卓のタイピングをさせるくらいなら計算機が直接データを読んでくれた方が良い。そうやって少しずつ「人間でなくてもよい場所」を埋めていく。
そういう意味では、現代で計算機が未導入の領域って自明な計算や運動で済むようなところはもうあまり残ってなくてあとは人間との界面ばかりなのかもしれないし、社会というものに気持ちのある人は大変だろうな。そこにやりがいを感じるのかもしれないけど。
社会実装の方法に関心はありつつも私は自分でそういうことをやりたいという欲求はあまり持っていないし、自分でそのことを幸運だとすら思っている。志の低いことだが。