“中華製品” が差別的というのはわかるけど (とはいえ故なき悪評ではないのだがそれはそれとして)、それはどういう言葉を使って言い換えようが差別的な物言いであることには変わりないので、中華という言葉が差別的ニュアンスを持っているというよりは、差別意識の表明のためのアイコンとして中華という言葉が選択されやすい、という解釈の方が適当かなと思う
日本製でもゴミはゴミじゃんというのはまあそうなのだが、べつに日本製がゴミだからといって中国製が神になるわけではないので、そこはおおむね独立した話だと思っていいと思います
中国sageが暗黙に日本ageを含むという仮定をおくのは、さすがに政治的に極端な言説に触れすぎて敏感になっているのではという気がするし、そんなどちらかを誉めたらどちらかを貶さないといけないような二項対立ではないでしょ (本来は)