なんというかハードコーディングでも設計の雑さでもインフラの雑さでも何でもいいんだけど、「それで行けることに賭けてリスクを負って問題のあるやり方を選んだのなら、賭けに負けたら腹括って負けを認めてコストを負うしかない」という諦めというか割り切りのようなものがあるので、「アカンやりかたしてる人が苦しむじゃないですか!」に対して「苦しむでしょうね」としか思わないところがある
べつにその苦しみを楽に軽減できるなら是非そうするべきなんだけど、本来賭けに負けたのは誰なんだ? というところを考えると負担を転嫁するにも道徳的に限度があるしあるべきではという