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人のアクティブユーザー

どうでもいいどころか、これ結構いろいろな文脈での核心になっている気がする (まあ個人的には自分がその立場になると思ってないのでどうでもいいんだけど…… (などと言うと傲慢だと言われそうだが))

労働の「生活を豊かにできる」という側面と「それそのものを望んでいるわけではない行動や苦痛の受容を、要請あるいは実質的に強要される」という側面を社会が未だ切り離せずにいるのはだいぶつらいポイント

価値を生むような行動の選択肢を複数もっていてその中からマシだったり楽しかったりするものを選べる人とか、あるいは経済面以外で人生を豊かにできる行動の選択肢を持っている人にとっては、義務的労働とは「望まぬ行動や苦痛を強いられるもの」であり「義務的労働なしに生活が成り立つならそれにこしたことはなく、最小限の労働が人間に委託されるべき」と思うだろう。
一方でそのような選択肢を十分に持っていない人々にとって労働とは「生活を豊かにできる権利」であって、「人間に委託される仕事を減らすことは即ち労働方式の選択肢のない人々から豊かになる権利を奪うことである」と思うだろう。

ベーシックインカム云々があったところで結局「最低限より上」を目指そうとしたら何とかして対価を得るしかないわけで、その「何とかして」の部分が狭まっていくのは脅威なんでしょうね。たといそれが直接的には人間を危険や苦痛に晒すような「何とか」であっても。

らりお・ザ・何らかの🈗然㊌ソムリエ

直截的な言い方をするなら、「苦痛受容キャパシティを換金するルートがだんだん封鎖されているうえ、苦痛受容キャパシティ以外に高額で換金できそうなリソースがの持ち合わせがない」みたいな人々の状況が、労働あるいは価値生産の機械化への抵抗の根本的な理由なのかなという推測をしている。知らんけど。

換金とは書いたけど、あるいは交換したいのは金より大事な何か (名声とか?) かもしれないし、それはまあ人それぞれかもしれない