かつてのヘースブックでの政治的意見操作とかも思い出すけど、結局「人々は逃げられたはずなのに逃げなかった」ただそれだけなのだよなという思いがいつもある
ネットワーク効果だの「みんなが使っているから自分だけ抜けると〜」だのいろいろ言い訳はあるけど、結局それ原油の価格が急上昇したりしたとき「私はオイルショックで起きたトイレットペーパー騒動を知っているし愚かなことだと思うけど、それはそれとして『私以外の愚かな人々』がトイレットペーパーを買い占めると困るから私も買っとくわ」と何が違うのという。
トイレットペーパーでピンとこないなら取り付け騒ぎとかでもいいです
「私には大局が見えているが、他の人が愚かだと私まで損をするので一緒に愚行をはたらきます」って、それは紛れもなく愚かな人々の一員じゃん。帰結を背負う覚悟もなく悪行はたらいてんじゃねーよ
信念と美学すらない悪なんて、ただのカスじゃん。そんで胸を張ることもできず「でも損するのは嫌だもんね〜」で同じ境遇の受動的な愚行の担い手たちと同調して傷をなめあうわけでしょ。しょーもなすぎて白けるわ
「俺は嫌だから代わりにお前らがなんとかしろ」を言い繕ってるだけじゃん