https://notestock.osa-p.net/index.html?dt=20210403#note_31976220418d51a31fb61d9d1edd05af
ワイのソフトウェア使用の責任についての見解、この辺やな
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/106000986064559419
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/106000988781561095
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/106000996189337973
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/106001092229711352
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/106001096448650244
PL法は
* 物理法則や物理的環境の変化は比較的穏やかで、劣化や攻撃手法も予見可能性が高く、かつ
* 工業製品を消費者が修理・改善することが困難である
という前提で責任の移動を正当化していると思っていて (そのように法律に明記されているとは思わないけど原理レベルの話として)、ソフトウェアはそもそも前提が一致していないじゃんという感想です
ソフトウェアは
* オンライン環境の変化は劇的で、新規の攻撃手法の予見は (軍事的な目標になるほど) 極めて困難で、かつ
* 自由ソフトウェアであれば消費者が修理・改善できる形式で頒布されている
という前提なので、PL法の理念を無批判に持ってくることはできない、そして私は少なくともその理念がそのまま適合するとは思っていない、というスタンス。
https://notestock.osa-p.net/index.html?dt=20210403#note_dff4d33a2995e644e36cc5b768ee4b80
プロプライエタリソフトウェアについては、少なくとも後者の前提が工業製品に近い (消費者による修理・改善・分析が極めて困難である) から、まだ PL 法の理念の適用の妥当性も (自由ソフトウェアに対するそれに比べれば) 比較的高かろう、くらいのお気持ちも以前述べたとおり
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/106104926949489033
あと別の例として、前者の「環境の変化が激しく攻撃が予見困難」が該当しない領域でも PL 法の理念の妥当性は高いねという話もした:
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/106000915604679297